147、2度目の世界一周に行ってみて

今回も、西欧6カ国、南米3カ国、オーストラリア、タイと盛りだくさんの旅行でした。

ホテル代はどこも1泊2万以上、食事は1食3000円以上と、円安を実感する日々でした。

最初に行ったのがイギリスでEU離脱後の没落が目に見えて現れていました。移民たちが全員祖国に帰って人手が足りず回っていない感じでした。一流国から二流国へ格下げは近そう。

スペインは、食事、ホテル、レンタカー、サービス、システム、すべてが古くいいかげんで三流国でした。スペイン・ポルトガルに移住なんてとんでもなさそう。

イタリア、スイス、ドイツはさすがにまともでした。、驚いたのはフランスがレベルを保っていたこと。食事はさすがにフランスがダントツでした。全体的に欧州は戦争の影響か、どんよりとしたイメージでした。パリオリンピックでどうなるかですね。

スペインのマドリードから南米にはブラジルから入国。僕の祖父がブラジルに3年だけ移民していたので前から行ってみたいと思っていました。到着からスペイン的デタラメさが炸裂していて嫌な予感が。案の定レンタカーを賃貸拒否されました。ブラジルは日本の国際免許で運転できないようです。知っているのに現場で拒否してキャンセル料だけもらおうとする詐欺レンタカー屋でした。

ブラジルを中国、ロシアがBRICS陣営に引き入れようとしてますが、間違いなく彼らはお荷物になるでしょう。とても明るく陽気に見えますが、残念ながら仕事は何もしません。おしゃべりを仕事と勘違いしている国民でした。国際線のスッチーが着陸5分前に前の客とのおしゃべりに夢中になってしまい、必要な業務連絡をしないので機長から怒鳴られるなど、おしゃべりを優先して、仕事をしないことは他でも多々あり、マジでブラジル人と仕事で絡むのはやめようと思いました。日本人街もしょぼいし、観光地もなく、食事もまずい国でした。もしかしてブラジルで地道な改善、努力はカッコ悪いのかも。ましてや緻密なチームプレイは難しそう。祖父は移民ブローカーに騙されてブラジルに行ったんだろうなぁ。今でも200万人もの日系移民がブラジルにいるらしいが、日本人らしさはどこにもなく、長年の月日でブラジル気質に同化してしまったよう。旅行前はブラジルにいいイメージを持っていましたが、現地を見てガッカリでした。

次は、マチュピチュ、ナスカの地上絵とバリバリの一級観光地を持つ、ペルー。この国は、なんだか陰気臭い。ブラジル人の欧米系の顔から東洋系になるのでそう感じるのかもしれないが、地味というか陰気というか、どこをみても弾まない。緑の多いブラジルからペルーに来ると砂漠の街らしく、景色がすべてサンドベージュに変わる。細かな砂が空中を舞っていて視界がかなり悪い。スカッとした青空もなく、どんよりとした茶色の薄暗い中で生活しているのでこういう性格になったのかも。

これといった産業もなく、緑の少ない国なので、マチュピチュとナスカの観光収入にかける気持ちはわかるが、あまりにもその2つに利権が多すぎて閉口した。マチュピチュに行くにはクスコという高度3400mの高地にある街にリマから飛行機で行く。富士山の山頂が3800mなので、いきなり富士山頂に降ろされるとこになる。マチュピチュは2300m地点にあり、かなり低地にある。ちなみに富士山5合目にあたる。本来ならば健康を考えて、即座にマチュピチュへ行くべきところだが、そうするとクスコの街は単なる通過点になってしまい儲からなくなってしまう。そこでペルー人はクスコとマチュピチュを結ぶ鉄道を半分にして通行止めにしてしまえば儲かるのではと考えた。そうすると1日でいけなくなり、クスコに宿泊することになる。宿代、食事代、お土産代から、途中の鉄道駅までのタクシー、バスの移動代ががっぽり入る。半分にされた残りの線路は今も残っている。健康を害するクスコに泊まらない方法は144に書いたのでご参考までに。

肝心のマチュピチュだが訪れてみると、いたるところで怪しい匂いがプンプンとした。遺跡の中を歩いていると幕で覆われたエリアで左官が働いていた。土でできたレンガを修復しているのか思いきや、新しい壁を作っていた。確かにここに古代の街はあったのかもしれないが、その規模は相当小さかったのではないだろうか。そのままではショボすぎて話にならないので、観光のためにどんどん新しく遺跡を拡張したのではと思ってしまった。あんな山奥にあの大規模の街がある事自体がありえないと帰るころには確信してしまった。たぶん、観光客が全員帰った夜に左官たちが突貫工事しているのだろう。

さて、寡黙で大人しい感じなのに旅行者を騙そうとするペルー人に辟易しながら、次はナスカの地上絵を見にリマでレンタカーを借りて行ってみた。ナスカの地上絵を見ると、これもまた胡散臭い。飛行機から見ないとみれない地上絵はさぞや巨大なのかとおもいきや、数十mレベルばかり。十分子供でも描くことができるサイズ。こちらもまた、数個の古代絵が世界遺産に認定されるやいなやどんどん書き足して数千個まで増やして一大観光地にした感じだった。砂が舞う土地で深さ数センチの絵が消えないのは、もちろん、夜中に清掃しているからでしょう。世界的UFOブームの頃にナスカの地上絵を売り出したペルーの広報課にやられた感じでした。

おしゃべりロクデナシのブラジル。ムッツリだましのペルー。とつづいて、南米チリへ行きました。この国は、南米では寒い地方に属していて、ダウンを着込まないと歩けないような冬でした。特に首都のサンディアゴは真後ろに7000m級のアンデス山脈があり、そこからの冷たい山風が凄い。サンディアゴの町並みはブラジル、ペルーと違い、とても現代的で合理的。地下鉄も整備され駅もわかりやすく安い。日本でいうと、福岡、札幌レベル。だがいかんせん観光地がなさすぎて暇を持て余す。1週間、ダラダラと過ごしてしまった。日本ぽいので居心地が良かったのかも。食事、ホテル、サービスともにしっかり者出来杉君のチリという感じでした。

3週間過ごした南米をあとに、カンタス航空でオーストラリアのシドニーへ。シドニー行きの飛行機に搭乗するにはESTAがいると航空会社カウンターで言われ、大慌てで登録。スペイン、南米のいい加減な国からやっと先進国についたと思って安堵しているとシドニー空港で違和感が。この空港、増改築を繰り返したのか、とても分かりづらい。案内板も小さく適当。タクシー乗り場に行くのに何度も人に聞いたのは久々。で、次の日、国際線から国内線への移動はさらに分かりづらいの極みになる。普通シャトルバスが出ていてそれに乗ればいいのに、それが見つからない。もしかして三流国?その疑問はオーストラリア滞在中ついて回ったのでした。

定番のエローズロックからシドニーに戻ってきて、あまりの寒さに南極に近いメルボルンに車で行こうと計画していたのを急遽変更、赤道に近く暖かいケアンズに行くことになり前日飛行機を予約して移動しました。ケアンズといえば2大世界遺産「グレートバリアリーフ」と「キュランダ」。羽田からの直行便もあり、時差も1時間しかないので、旅行に無駄がない。白人系なので英語も通じ、まわりに日本人観光客もたくさんいるので安心と、ハネムーン、家族旅行に人気のスポットだ。